第20回 31年目の部活動

泥んこのグラウンドを走りながら
いったい何を学んだのだろう。
3日経っても治まらない筋肉痛は
僕らに何を記憶させたのだろう。
指導する側とされる側
決して真ん中はない青春の境界線。
部活動という生き方に映し出された
ちっぽけなものがたり。

 この冬、母校の陸上部を11年間指導してくださったO先生の退官パーティが行われた。参加者90人、該当者の半数が集まったわけだから、先生のご人望が伺い知れる。

 O先生とは折り合いが悪かった。先生が母校に赴任した時、僕は高校3年生で、テキトーに陸上をやっていて、ほぼ毎日、部活以外の課外活動に精を出していた。それが何だったかは、当時関市に住んでいた50歳前後の人に聞いていただければよろしい。

 現役国体選手として鳴り物入りで弱小陸上部の顧問に就かれた先生は指導方針を一新した。それまでは雨が降れば、体育館のステージで腹筋背筋を30回×3セット、余力があれば腕立て伏せ。これでおしまい。楽上部と呼ばれた僕らに泥んこのグラウンドを走る気など、これっぽっちもなかったのである。

 O先生の指導スピリッツは全天候型。雨、雪、雷、ヒョウ、何が降ろうがカンケーなし。横にブルドーザーで工事をしていても徹底してグランドを走らされた。

 「された」という表現がそもそもダメなんだと気づいたのは社会に出てしばらくしてから。人はどんな時でも、やらされている意識では進化や成長は望めない。与えられた課題(練習メニュー)に対して向き合うことでしか肉体や意識に変化が生じないのだが、遊び盛りの17歳がそんなポジションに身を置くことなどありえない。他の部員たちに失礼だから、あえて「僕の場合は」とさせていただくけれど…

 そんな先生だからして、当然服装や髪型にまで指導が入る。髪型がキマらないからという理由で2時間目から登校していた僕にとってもっとも厄介な相手、いや、敵である。

 とはいえ陸上の指導方法についてはすべて呑み込んだ。当然だ、向こうが一枚上だし理屈も通っている。しかし生活態度というか、服装と髪型は別問題、と思わざるを得ない17歳の僕がいた。

 「髪切ってこい!」「いやです」「パーマおとしてこい!」「いやです」「ズボン細くしてこい!」「いやです」「そんならもう練習にこんでもええ!」「はいっ」。最後だけ実にハツラツとした返事。

 しばらくグラウンドに顔を出さない日が続いた。どうせ俺がいないと始まらないだろうとタカをくくっていると、お前なんかいない方が練習に身が入るというオーラで跳ね返される。先生とは言え、血気盛んな29歳の青年だ。わずか12年の時の差が、教師と生徒、指導者と部員という立場にふり分けただけで、時代を生きる若者に変わりはない。年齢が近い分、余計に意地を張り合い、いつしか僕とO先生の間には距離ができ、それは卒業するまで埋まることなく続いた。

 僕は体育学部に進学しながら、高校時代の部活動の話をするのがいやだった。全力で練習した日々を語ることができなかったからだ。あのときもっと練習していれば、先生の言う通りにやっていれば、もっと自分から踏み込んでいれば…。情けない思いのひとつひとつが泥んこのグラウンドに降る雨のように、心の中に冷たく落ちた。

 4年後、僕は教育実習生として母校に帰った。OBということで陸上部の指導をサポートすることになったが、特別な記憶は何もない。きっと僕は、跳ねっ返りだった高校生の延長線上にいたのだろう。

 それから27年、高校卒業から31年の時を越え、49歳になった僕は、還暦を迎えた先生と対面した。

 先生が赴任された時の3年生ということで、僕は乾杯の音頭を任された。先生ご夫妻と後輩たちの視線に晒されながら僕は話した。内容は、高校時代、陸上競技を通じて後悔したこと。特に、O先生との1年間について後悔したこと。それだけ。

 練習とは自分の能力を限界まで試すチャンスである。それが勝利に繋がらなかったとしても、そこに到達するまでのプロセスは意味を持ち、敗れてなお自分を成長させるための糧となる。しかし僕はそれを放棄した。大人になった今でも、僕は自分の極限というものを知らない。わかりやすく言えば、限界まで頑張ったことがない、ということだ。
 
 過ぎ去った時間を取り戻すことはできないが、できることならあの時やらなかったことを、今、やりたい。今さら泥のグラウンドを走ることはできないけれど、部活のように燃える仕事をしたい。この歳になってそんな思いになれたことは先生のお陰だと思っているし、あの頃に後悔した分、先生にはこれからの僕の部活動を見ていてほしい。

 教え子たちが行列を成して作るアーチをくぐり抜け会場を後にした先生が、最後尾の僕の前で立ち止まった。ずいぶん優しくなった眼差しの奥にあの頃と変わらない輝きをみつけた。

 「ありがとう」「どうも」。あの頃と変わらないやりとりだけど、強く握った手のひらから先生への感謝を伝えた。

 2012年春。新年度。また新たな部活がはじまる。


栗山圭介プロフィール

クリエイティヴディレクター。有限会社マロンブランド代表。守備範囲はアーティストのクリエイティヴディレクションから、広告、企業CI、商品開発、公共事業まで多岐に渡る。2011年、この夏はHIROMIGO COCERT TOUR で全国を奔走する。

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