第14回 今、僕たちができること

この原稿を書いているのは3月13日の深夜である。いつもは勝手気ままに筆を進めていくのだが、今回ばかりはそうはいかない。連日報道される大惨事の情報更新に心が引き裂かれそうになるのだ。


テレビで流される惨劇は対岸の火事ではない。被災地はまぎれもなく我々の暮らす日本であり、そこで苦悩する人たちも日本人、仲間なのだ。 今、被災地から離れた場所にいる我々にできることは何か。それがたとえ微やかなことであっても意味を成さないものなどない。海外で活躍するスポーツ選手たちが口を揃えるように言う。


「自分にできることは国民に元気を与えられるプレーをすることだけです」。


遠い国で暮らす彼らにしてみれば、母国を見舞えないもどかしさを抱えながらも、そんな気持ちを凌駕するようなプレーをすることが自分たちの役割と信じているに違いない。
では我々の役割とはなんだろう。テレビを観てハンカチを目元に添えることだけではないはずだ。節水、節電はもちろん、クルマでの移動も避け、携帯電話の通話も極力控え、被災地の安否確認のために電話を使用する人のために譲るべきである。特にお年寄りや子どもは携帯電話に頼るところが大きく、若者や情報ツールに長けた人はその繋がりをネットやツイッターなどにシフトすべきだと思うのだ。そして余計な情報やデマは流さず、的確な情報と、繋がることで意味を成す連絡網的なメッセージをその端末に映し出すべきである。     


小、中、高校と我々が学んできたことは、主要教科や文化教育だけではなく、こういう時に自分がどのように関われるかということだったのではないだろうか。
重い荷物を持った老人がいたら手を貸す。電車で席を譲る。集団の輪を乱す人がいたら注意をする。タバコのポイ捨てはしない。ゴミの分別。どれもが人や社会を大切にするために学んできたことである。


道徳の授業で学んだことは、人は人と関わりながらどう生き、どうしたら自分も他人も幸福になれるかということだったような気がする。人は誰もが社会の一部であり、社会は自分にとって大切なファクターである。自分にとって「誰か」が必要なように、「誰か」にとっても自分は必要な人間なのだ。


今、我々は知らない「誰か」に必要とされている。「誰か」とはまぎれもない被災地で苦しむ人びとである。その「誰か」に今、何をすべきか。食料や毛布が足りないというが、国中から一斉に毛布や食料を送っても、現地での仕分け作業が困難を極める場合がある。ボランティアとして現地に救済に出向く方も多いだろうが、二次災害に巻き込まれる危険性もある。
役割は分担されることで意味を成し、自分の役割を決定するためには日々の情報を収集することが大切だ。少なくとも前述の節電節水などは当然にできるもので、この惨事を教訓に、近隣の人々と備えを常にすることもまた大きな意味を持つ。この文を読んでいただいているのは4月に入った頃だろうか。あれから20日あまりが過ぎ報道は少しばかり穏やかになっただろうか。そうだとしても今回の惨事から決して気持ちを緩めてはならない。ついさっきまで話していた友人が、景色が、一瞬にして消える。あの惨劇の中に、自分がいたとしたら…


誰にとっても故郷は三つあることをご存知だろうか。ひとつは生まれ育った場所。ひとつは生まれた国。もうひとつは地球。そう思えばこそ、この国や星で起こる出来事に我が身を重ね思いを寄せよう。誰もがこの星の住人であることを忘れてはならないのだ。


くどいようだが最後にもう一度だけ・・・・・。
我々のすべき役割とは、まさにこれから始まるのである。


栗山圭介プロフィール

クリエイティヴディレクター。有限会社マロンブランド代表。守備範囲はアーティストのクリエイティヴディレクションから、広告、企業CI、商品開発、公共事業まで多岐に渡る。2011年、この夏はHIROMIGO COCERT TOUR で全国を奔走する。

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