第15回 体育教師よりも輝く未来へ

一応、体育の先生になりたくて上京したのだが、正直なところ、俺が先生になれるんだったら世も末だと思い続けてた。そもそもなんで俺は体育の教員を目指そうと思ったのかさえ分からなかったというのが正直なところだ。
特別、誰か中学高校時代の先生に憧れたわけでもなく、教育に関心があったわけでもなく、ただなんとなく、そこそこ運動神経と部活の成績が良かったというだけの理由で、自分は運動系に進むのが妥当なのかなーと思っただけなのである。その最たるものが体育教師というだけで…

大学3年の6月。教育実習で関高校に行った。2年3組の担当となり青春ど真ん中の生徒たちに囲まれて悪い気はしなかった。自分のことを良く知る生徒たちも沢山いたので少々やりづらかった。厄介なことに中には一緒に素晴らしい高校時代の思い出を作ったヤツの妹とか従兄弟とかがいて、かなりマイナスなデータを収集されていてやりにくかった。
そういう実習生にはそういう生徒たちがたむろする。これはもう野性の習性みたいなもんで、どこをどう隠してもごまかしても、匂うもんは匂うのだろう。いわゆる2年中のワルが俺を取り囲む。当時はチェッカーズ全盛時代で、そーゆーガキはみんなフミヤみたいなヘアスタイルでギザギザな?で涙のリクエストをしていた。中にはリーゼントとドカンでキメたトラディショナルなツッパリもいたが、女子たちのウケはやはりギザギザ系に分があったようだ。そして授業はともかく、放課後的なノリで俺は生徒らと近くなった。

3組の40人ぐらいの生徒をはじめ、実習が終わるまでに100人ぐらいの生徒といろんな話をしたが、彼らの一番の関心は「東京」だった。今よりも数段輝いていた時代の東京は、それはそれはキラキラしていた。ケータイにもYou Tubeにも映し出されないテレビと雑誌とラジオと想像の中にしかない夢の場所。

「東京に行くと芸能人に会えるんかん?」
「俺、歌手になりたいんやけど、東京のどこ行ったらえーんやん?」
「ファッションデザイナーになりたいんやけど、どうしたらいいんやん?」
「イッパツ成功したいんやけどえーほーほーねーかん?」。

やんやんかんかん、関のジンは甘えた願いごとをするときにはかならずこうやって喉を鳴らす。残念ながら当時の俺には彼らを夢に導いてやるどころか、夢の入り口にさえ連れて行ってやれる力もなく、そんなこと知っとったらまず俺のために使うわと照れを隠してその場を凌いだ。

自分の高校時代をフラッシュバックさせる生徒たちの気持ち。東京は確かにキラキラして楽しい街だけど、俺はその輝きを傍観しているに過ぎない。俺が東京のどこかにいることを知ってるのは、親と親戚と地元の友人だけだ。つまり俺は東京にいる関のジン。それだけのこと。生徒たちには雑誌やテレビで見る以外の、俺だけの時別な東京を聞かせてやることができなくて、正直落ち込んだ。

その夜、同級生のデンちゃんと飲んだ。素晴らしすぎる高校時代の思い出を作った同志である。やや落ち込み気味の俺にデンちゃんは切り出した。

「ケースケはやっぱ体育の先生になるんか?」
「なれたらな…」
「それ以外は考えとらへんのか?」
「まったく」
「ほんでどーゆー先生になりてーんや?」
「ん?どーゆーって?」
「いろいろおるやろー、Tみてーな先生とかKみてーな先生とか、ほれ、筋金入りのI先生とか…」

話が進むほどに、先生なんてなれっこないと虚しくなっていったのを覚えている。とはいえ教育実習中の身である。ここでモチベーションをなくしたら、残された実習の日々が余計に哀しくなる。それじゃ生徒たちに申し訳ないし、何のために教育実習にきたのかがわからない。

「別に先生にならんでもええんやねーの? 先生に向いとらへんなって気づかせてくれる場でもあるわけやろ、教育実習てのは」。

高校時代から大人びたことを言う男だったが、このタイミングでまた天から斧を振り下ろされるような言葉に心がズキンとした。饒舌な俺がひと言も返せない。口を開けばすべてが言い訳になるようで、情けなかったからだ。

「あのなー、オメーはどんな職業に就いても、いろんな奴らが集まってくるんやねーかな。今は俺んたも若いでいろんな仕事知らんけど、どんな仕事しても、その人のキャラクターが消されたら終わりやて。おまはんの持っとるもんは、そういうとこやろ。知らんでも人が寄って来てまうんやて、おまはんは」

関弁が過ぎて活字にするとおばさんの井戸端会議っぽくなってしまうが、その時の説得力ときたらもう…。そしてデンちゃんは最後にこう言った。

「40になってからでえーんやねーの。自分で”ええ仕事しとるな”って思えるようになるには」

21歳の俺たちにとって19年後の未来はあまりにも遠くリアリティを感じられなかったが、予想もできない40歳という世界を口にしたデンちゃんがとてつもなく大人に映った。

「まーそーゆーことやで、あと19年悩んで飲もめー!。悩みなんか飲みゃ治るて」

その言葉を裏切ることなく40歳から9年経ってしまったが、俺たちは今でも激しすぎるほど悩みながら飲んでいる。そしてデンちゃんが言うように俺たちの飲み会には20代から60代までいろんな奴らが集ってくる。中には教育実習中に生徒だった者もいる。そして俺は飲み会の場でいつも誰かに言われるのである。

「ほんと先生にならんで良かったなぁ。でも、どっか体育の先生っぽいとこが入っとるのが不思議やなー」

あたり前や。肉体は衰えたが今でもドッヂボールやったら無敵のつもりやし100メートルだってイメージでは11秒台や。「つもり」とか「イメージ」とかで悪いけど、まだまだ現役でいろんなことに熱いっちゅーこと。

そんな俺でも今は言える。東京は面白いとこだぞ、と。そして関もまた東京とは違う夢を実現できる町だぞ、と。どんな夢が叶う場所かということは、今度酒飲みながらゆっくり話したるでえか。


栗山圭介プロフィール

クリエイティヴディレクター。有限会社マロンブランド代表。守備範囲はアーティストのクリエイティヴディレクションから、広告、企業CI、商品開発、公共事業まで多岐に渡る。2011年、この夏はHIROMIGO COCERT TOUR で全国を奔走する。

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